森のそよ風のブログ

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大リーグ「テキサス レンジャーズ」 大塚晶文選手 観戦の思い出


こんにちは。


日本のプロ野球から数日遅れましたが、米国の大リーグもいよいよ開幕しました。


7日には、エンゼルスの大谷選手と、パドレスのダルビッシュ選手が開幕試合で先発登板しました。
大谷選手は敗戦、ダルビッシュ選手は勝ち負けに関係無しという結果でしたが、ともに投球内容は非常に良く、今シーズンの更なる活躍の期待が高まりますね。


大リーグの試合は、米国で勤務していた頃、時々見に行きました。
会社がテキサス州ダラス市にあったため、見に行くのはもっぱらテキサス・レンジャーズ(Texas Rangers) の試合です。


歴代でレンジャースに在籍したことがある日本人選手は、伊良部秀輝、大塚晶文、福盛和男、建山義紀、上原浩治、ダルビッシュ有、藤川球児、有原航平という記録が残っています。
私の勤務の時期が重なっていて記憶があるのは、伊良部、大塚、福盛あたりです。
レンジャーズの試合を見に行った際、対戦するビジターチームで松井秀喜やイチローが来たりして(彼らを観ることが目的だった時もあり)、ワクワクして試合を観たのも懐かしい思い出です。


さて、レンジャーズで活躍した日本人選手の中で、今日は、大塚晶文(おおつか あきのり)選手について書きます。2008年4月23日の出来事です。


大塚選手は、横芝敬愛高、東海大、日本通運を経て、ドラフト2位で当時の近鉄バファローズに入団。近鉄の2年目には当時パリーグ新記録の35セーブを上げ、最優秀救援投手賞を受賞していました。
その後、中日を経て、2004年に大リーグに挑戦し (現在はダルビッシュ有選手が活躍中の) サンディエゴ・パドレスに入団。 2006年にテキサス・レンジャーズに移籍し、両チームでセットアッパーとして活躍しました。ところが2007年に右ひじを傷め、オフにトミー・ジョン手術を受けたが残念ながらMLBへの復帰は果たせなかったようです。


その大塚晶文選手ですが、今年2022年は、なんと立浪新監督率いる中日ドラゴンズの一軍投手コーチに就任されていますね。



さて、現地在住時の 2008年4月23日、テキサス・レンジャーズの試合を見に行きました。
昨シーズンまで サンディエゴ・パドレスでプレーしていた大塚選手が、今期からRangersに移籍して来ていて、現地に永住する日本人や 企業の駐在社員達の間で、大塚選手の活躍への期待が高まっていました。


試合後にスタジアムで、ダラス日本人会による大塚選手へのインタビュー交流会が企画されていて、日本人会の事務局でチケットをまとまった数を手配しており、会員の観戦希望者を募集していたので買ったのです。


当日は早く起きて昼過ぎまでに急ぎの会社の仕事を2件ほど片付け、試合開始から1時間ちょっと遅れてアーリントン・ボールパーク(球場)に到着。
試合は既に4回まで終わっていて、Rangersが8-2で Tampa デビルレイズをリードしていました。
8回に大塚選手のセットアッパー登板が待望されていましたが、大差でリードしていたため温存されたせいか残念ながら出番はなし。終わってみれば8-3でRangersの快勝でした。


試合終了後、20分ほど休憩の間にスタンドから殆どのアメリカ人観戦者が去ったあと、大塚選手が内野席の日本人会応援席前に登場。日本人会から今日参加した200人ほどが大塚選手を出迎えました。


当時の青少年部会の藤井さんが司会をし、部員の方々が日本式応援団のエール、『フレェー! フレェー! 大ぉ塚ぁあ~!』で、出迎え。
司会者が大塚選手を紹介したあと、子供たちの質問コーナーです。日本語補習授業校の児童生徒など20人ほどが、次々と大塚に可愛い質問やユーモラスな難問・奇問を浴びせかけました。そのあと大人の質問が数件。中には日本からわざわざ旅行して来たと言う中年男性の姿も・・・。


その一つ一つに大塚選手は、丁寧に気持ちをこめて答えていました。
日本人会の事務作業を一人で仕切っていた由紀子さんという方が、「大塚選手は本当に好青年って感じです。」とちょっと前に言っていたのが頭の片隅をよぎりました。 今どき、「好青年」という、あまり使われなくなった言葉で形容できるような人がいるのかなって、多少思っていましたが、時折ユーモアも交えながら、誠実で飾り気のない応答ぶりは、子供も大人も問わず、参加した全員のハートを確実に掴まえていました。


大塚選手のはつらつとした姿や応答ぶりを見て、ダラスの生活に新しい楽しみができた感じです。
今日はコンを詰めて期限が迫る会社の仕事をしたあと、少し遠い球場まで車で回って心身とも疲れていたのですが、無理して来てよかったと、すがすがしい気持ちで球場を後にしたのでした。


2022年の大リーグ開幕で 日本人選手たちが活躍するニュースを観て、そんな懐かしい出来事を思い出しました。


ではまた、この次に。